歴史と自然、そして今の﨑津を、共に味わう
海月 / 宮下 剛
Prolougue
Story1 﨑津を愛する漢の、一生をかけた挑戦
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世界の約70%を占める海。その広い海は、私たちにおいしい海産物を与え、癒しを与えてくれるが、その一方で、時には厳しさを与えることも。海は、いまだ解明されない不思議の多い、無限さえも感じてしまう存在だ。
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ここで登場するプレミアムシェフ「海月」のご主人・宮下剛さんも、そんな厳しくも優しい海と共に生きてきた一人。生まれ育ち、現在店を構える天草・﨑津は、世界文化遺産に登録されたことで、一躍注目を集めることになった集落だ。
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﨑津は、東シナ海に開口する羊角湾の北岸に位置し、豊かな漁場に恵まれていることから漁業が盛んな漁師町。そんな漁師町が世界文化遺産に登録される理由には、信仰が関係してくる。
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この土地で暮らす人々の多くは、16世紀中頃に伝来したキリスト教の信者。17世紀、禁教令の発令によって弾圧を受け、潜伏キリシタンとして密かに信仰を続けてきた先祖を持つ。
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独自の信仰方法が育まれたことで知られ、白蝶貝の貝柱跡をマリア様に見立て信仰することなどは、まさに漁村ならではの信仰のカタチだろう。教会・神社・寺院という3つの宗教が共存することも﨑津ならではだ。
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「この集落をどう未来に繋いでいくか」。宮下さんは、漁師でもある両親の背中を見て育つ中で、そう考えるようになったと言う。「魚に携わる仕事。その中でも料理の道に進みたいと思ったんです。そのキッカケは、この集落ならではの風習にあります。祝い事の際に、集落のみんなでご馳走を囲んで祝うのですが、そこで父が料理を担当し、活づくりを作っていたんです。それを見ていて、いいなって思ったのが決め手でした」。
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大阪・京都・兵庫で寿司の修業をする中、割烹や和食レストラン、回転寿司、出前、出張、ブライダルと幅広いステージで経験を積んだことは、今、大いに役に立っているという。2011年に﨑津に戻り、「いかり」の名で持ち帰り専門の寿司店をオープン。
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2013年には、店名を改め「海月」として再出発。現在の場所に移ったのは2017年のことだ。その間、店での営業だけでなく、熊本市内のバーや、船上での出張料理など、さまざまな場所へ出向いていくことで、多くの食ツウたちが宮下さんのファンになり、クチコミで噂が広がり、﨑津まで足を運ぶ人々が増えていった。
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宮下さんの1日は、漁港での仕入れから始まる。幼い頃から可愛がってくれた漁業関係者が水揚げをする中、宮下さんは作業を手伝いながら魚たちを目利き。「海月」で出す魚介は、そのほとんどが天草西海岸で水揚げされたもの。「今日は、どうね?(いかが?)」「寒ビラメが揚がったけん持っていきなっせ(揚がったから持っていきなさい)」。こんな会話が繰り広げられる。
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漁港から10分ほどの場所に「大型定置網漁(大式網)」を仕掛け、そこに誘い込まれた回遊魚を捕る。これがこの地域の伝統的な漁法。長く海と共に生きてきたからこそ、資源は有限ということを念頭において、網の目は大きく、捕りすぎない。
持続可能な漁業を意識し、工夫されている。漁港から漁場まで約10分と燃料費を抑えることもできるという、環境面でも理想的な漁法だ。
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宮下さんが、守り、次世代へ繋げたいと強く願う﨑津集落。
「海月」でいただける料理は、単に、おいしい寿司、料理ではない。長く尊い歴史と、厳しくも優しい海の恵みを一心に受けた食の物語。さあ、宮下さんが紡ぐ食の旅に出かけよう。
Story2 飾らずシンプルに、﨑津を味わう口福の時。
海に面した「海月」は、カウンターの7席のみで営業している。席につき、ふと正面の小窓に目をやると、その先にはキラキラと輝く海が見える。
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「帰省して最初にオープンした店は、この集落に根ざしてやっていきたいという願いを込めて『いかり』という名に。今の店名は、本当は漁業の神様『えびす』様の名をいただきたかったのですが、おこがましいと思って。調べてみると、えびす様の化身が“クラゲ”だということが分かり『海月』にしました」。満月の夜には、海面に映った月が、ゆらゆらと漂うクラゲのように見えるという。
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まずは、天草の焼酎をいただきながら、窓の外を眺めるのも一興。ほろ酔い気分で、口福の旅へ出かけよう。
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宮下さんが用意したプレミアムコースには、ありとあらゆる「天草」が盛り込まれている。
クラゲのようにふわふわとした気分へ誘う焼酎は、「天草酒造」のもの。「天草酒造」代表の平下豊さんと宮下さんが隣に並ぶと、兄弟?と尋ねたくなるほどそっくりな二人は、生まれ育った天草を愛し、天草の魅力を伝えたいという同じ志を持っている。
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「のっぺらぼうな焼酎は作りたくない」そう語る平下さん。素材の特徴を最大限に活かし独自の味わいに仕上げるため、製麹中の温度管理の難しさを機械に頼らず、人の手で仕込むことにこだわっているのだ。
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「海月」では、カウンターに並べる寿司皿をはじめとした器たちは、天草陶磁器を採用。
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良質な陶石があることから250年以上の歴史のある「天草陶磁器」は、現在、23の窯元があり、その趣きはさまざま。「海月」では、多くを採用し、食事と共に窯元巡りをしているような愉しみ方も出来るのだ。
今回、新たに仲間入りした器たちは、「あよお」「木ゆうこ」「十朗窯」の3窯元。寿司皿から蓋もの、吸い物椀などを新たにオーダーした。
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その中の一つ「あよお」は、窯元の中でも人気の高い「丸尾焼」から独立した金澤尚宣さんが立ち上げたブランド。
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カウンターに置いたときの高さや、寿司が乗った時のバランス。もちろん、イメージしたのは「海」だ。
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海と共に生きてきたからこそ知る、幾つもの海の表情を、仕上がった器にうつし、そこに、海からの恩恵でもある、寿司が乗る…。
さあ、食事の時間を始めよう。
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目の前の「十朗窯」の皿に、刺身が一品ずつ出される。
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流れるような所作で、この日はアオリイカ、真鯛、熟成ブリ、羽ガツオ…と、切り立てを、その都度いただく。
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漁港に足を運び、漁師たちに混ざって仕入れてきた、その日の魚たちが、宮下さんの手によって、次々と食事に昇華していく。
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箸を手にしようとした時、箸置きにも目を向けて欲しい。小さいながらも、存在感を放つ「天草ボタン」。これもまた、天草陶石で作られたもの。一つひとつ成形し、絵付けした小さなボタンは、現在、製作が追いつかないほどの人気だという。
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お待ちかねの寿司の時間。
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天草の新ブランドとして、さまざまなアイテムが生まれている「天草ヒノキ」。宮下さんは、ネタ箱をオーダーした。木目の美しさだけでなく、香りも良く、そこに、丁寧に処理されたネタが並ぶ様は、まるで宝箱のよう。宮下さん自身も、真新しいネタ箱にうっとり。
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宮下さんの寿司は、味付けを施された創作寿司。「ずっと醤油だと、飽きてくるでしょう。私自身、飽きますし」というのが理由。
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刺身にも登場したアオリイカは、塩とゆずの香りをまとって、寿司皿に置かれる。
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「寒ビラメ」は、食べやすいようにと折り曲げて握られている。煎り酒を塗って、おろししょうがと共にいただく。
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天草の甘い醤油と大根おろしを和え、さっぱりとした味わいに昇華した「熟成寒ブリ」。
刺身と寿司とで食べ比べることで、さらなる魚の旨味、奥深さを感じることも、宮下さんの「﨑津を味わって欲しい」という想いから。口福の時間は、まだまだ続く。
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蓋を開けた瞬間に桜の香りが漂う「蒸し寿司」は、心からホッと温めてくれる。シソの実を混ぜ込んだシャリと白身魚、炙った塩漬けの桜の葉を、箸で割り、一緒に口に運ぶ。ほどよい塩気と魚の旨味、そして桜の香り。春を感じる一品だ。
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半生に仕上げた「車海老」は、観音開きにしシャリを包み込んだ。甘みを存分に感じる。
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「白子」は炙ってから甘辛いタレで炊き上げ、ご飯の上に。よく混ぜて、リゾットのように味わう。この日はトラフグの白子が登場。
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「サバ」はうぐいすに見立てた握りで。サバの脂身と大根の甘み、シャキシャキとした食感も絶妙。
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飼料にマンゴーを混ぜ込むという天草のブランド卵「タマンゴ」を使った「カステラ」。ふわふわとした食感で、口の中でふわっと消えるよう。
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この日の出会いは以上だが、冬は白子、春はムラサキウニなど、海にももちろん春夏秋冬があり、旬が異なる。その日の出会い、その季節の出会いが楽しめる「海月」の寿司。
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宮下さん自らが素潜りして捕ったウニや、釣り上げた魚などが登場することもあるというから、お楽しみに。
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「﨑津は、朝昼晩と時間によっても、その趣が変わります。食事をしていただくということをキッカケに、さまざまな角度で﨑津を見ていただきたいですね」。
食事の前と後でも、きっと﨑津の表情は変わるだろう。「こんな﨑津に出会ったよ」。そんな会話も楽しみながら、食の旅を楽しもう。
店舗情報
住所:熊本県天草市河浦町﨑津457
TEL:0969-79-0051
営業時間:12:00〜14:00最終入店※夜は完全予約制 (不定休)
プレミアムコースのご予約
プレミアムコースは熊本の四季折々の食を楽しんでいただくために、各店舗の食材で内容が変わります。内容については店舗に直接お尋ねください。
海月のプレミアムコース
料金:16,500円〜 (時間は要相談)