時を重ねカタチになった「自分たちなりのオーガニック」
Peg / 冨永 博美
Prolougue
contents
Story1 シェフの物語
和水ではじまる、新たな食の時間
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食べることは生きること。それは、ただの行為ではなく、出会う食によって、幸福感につながっていく…。和水町に店を構える「Peg」の冨永博美さんは、そんな幸福を与えてくれる料理人の一人。
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地元の農業高校を卒業後、福岡の調理専門学校へ進み、20歳で上京。フランス料理の世界へ飛び込んだ博美さんは、本場フランスでの修行を経て、2015年8月熊本市内に店を構える。個性的な店が並ぶ上乃裏通りで、熊本の食材にこだわった体に優しい料理やナチュールワインを楽しめるビストロをオープンさせた。
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食にアンテナの高いファンの心を掴んだ「Peg」は、瞬く間に人気店になっていくが、それと同時に忙しさのあまり、家族との時間が取れないというジレンマにも苛まれていた。「移転は自然な流れ、長女の進学を機に、ライフスタイルを変えることにしました」。そうして、2023年春、博美さんの故郷・玉名郡和水町に場所を移し、新たなスタートを切ったのだ。
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オーガニックをベースにした料理を提供する「Peg」だが、その定義は「自分たち」。「自分たちなりのオーガニック、有機的であること…をカタチにしていきたい。出会った人、その方々が育てる食材を大切にしながら、素材の持ち味を最大限に表現する料理と、過ごす時間をPegで提供しています」と博美さん。
旬の食材をメインにしながら、足りない味覚は、塩や砂糖、酢を加えて仕込んでおく。
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「梅干しなどのような、先人の知恵の応用です。さまざまなものを仕込んで発酵させたものを料理に使用しています。どんな味わいになるかなど、答えが分からないものも試していて、実験を重ねているところです」。案内された店や自宅には、ブルーベリーやビワのタネ、柿、梨、すだち、ライムなどを発酵させたガラス瓶が大量に並び、発酵・熟成を重ねながら出番を待っている。
Story2 生産者との物語
出会いは発酵。
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食だけでなく、人間関係も発酵だと語る博美さん。「人との出会いや人間関係はシンプル。出会った人とうまく発酵できたら、関係性も熟成していくと思っています」。
それは、食材の生産者や器の作家なども同じ。ここでは紹介しきれないほどの人々が「Peg」を支えている。
宇城市豊野にある「たから農園」の高田さんご夫妻は、固定種・在来種をメインに、有機栽培された野菜を出荷している。
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さらに、厳選した野菜から種を採り、植えるという、手間と根気を要する農業をおこなっている。全国でも少ない種採り野菜の生産者で、年間50~60品種を栽培。
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博美さんとは7年来の付き合いで、「とにかく野菜が美味しい。同じ大根でもさまざまな種類を栽培されているので、その違いに感動しますよ。それに、誰かが種をつないでくれたからこそ、こうして食すことができる。それを思うとまた感動します」。
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さらに、今回、博美さんがどうしても使いたかったという器は、車で5分ほどの場所にある「まゆみ窯」のもの。一般的には、師事した窯の製法を受け継ぎ、小代焼きなどと名付けられるが、眞弓亮司さんの器は独自性に溢れたオリジナル。美しい色つや、程良く手に馴染む重厚感など、手にすると分かる独特の風合い。
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玉名市にあるカフェ&ゲストハウス「HIKE」で販売されているのだが、人気が高く多忙なため、現在「Peg」ではパン皿として使用しているが、「何年でも待つので、メイン料理に使う皿をお願いします!」と懇願しているとか。その時を、楽しみに待ちたい。
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続いては、食事の途中で登場するパン。そのままでも、ソースをつけても、とにかく「Peg」の料理に合うものを、とこだわったそのパンは、奥さまが手掛けたもの。
母屋で週4日、火・水・金・土曜のみ営業するベーカリー「ROK」には、自家製酵母のパンが並ぶ。
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「粉の主張がありすぎる全粒粉は避け、シンプルに生地の旨味を感じる高加水・長期熟成のパンを作っています。営業日の2日前から生地の仕込みがはじまり、当日の早朝に焼き上げ、12時のコースのスタートには食べごろになるように逆算しています」と加奈子さん。
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彼女もまた、無農薬だ、オーガニックだ、と言葉だけに惑わされず、「この人に出会って素敵だと感じたから…」と使用する食材をセレクト。「誰が作った塩、誰が作った米」と、一つのパンに込められた幾人もの想いが詰まった、そんなパンがいただけるのだ。
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コースの肉料理には、博美さんが熊本出店を決め、固めたコンセプトを叶えるためにキーパーソンになった生産者の物語が込められている。「熊本で店を構えるにあたり、本当に信頼できる生産者さんを探していたところ、『玉名牧場』の矢野さんに出会ったんです。そこから、さまざまな生産者仲間を紹介していただきました」。
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「玉名牧場」は、その名の通り玉名市にある牧場。山道を走った先、自ら森を切り開いた東京ドーム3個分の土地で、わずか32頭のジャージー牛を放牧している。穀物飼料や配合飼料を与えず自然のままに育てるという独自の肥育法が、全国的にも知られている酪農家だ。料理には、酵母菌で発酵させた熟成タイプのチーズ「ルミエール」と、仔牛が炭火焼きとして登場する。
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矢野さんご夫妻がいると甘えにやってくる
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なぜ、博美さんが仔牛を選んだかというと…、まだ多くは知られていない畜産業界の課題があった。
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「乳牛を飼育する場合、必要なのは乳の出る雌。雄はうちの場合、1頭で十分です。生まれてくる仔牛の中で雄が産まれてくると、その多くは殺処分・廃棄されているのが現状です。うちでは、せっかく産まれた命を無駄にしたくない…と考え、名前を付け、半年間大切に育てた後、屠畜・解体し、飲食店などで活用していただいています」。矢野さんは、まだ幼い仔牛たちを眺めながら、そう語る。
「玉名牧場で育った仔牛は、タンパクで美味しいんです。大切に調理させていただいています」。博美さんは、矢野さんから枝肉を受け取る際、必ず名前を聞くという。
「Peg」で味わえる食は、人と人が出会い、発酵し熟成された賜物。美味しさの向こう側を垣間見、力強さを感じるだろう。
Story3 プレミアムコース
シェフと集うゲスト、共につくる食の時間
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「Peg」の食事は、12時にスタートするランチのみ。さらに、1日の予約は最大8名のみ。その日、はじめて出会ったゲスト同士もカウンターに並び、共に食事を楽しむというスタイルだ。
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舞台となる建物は、土に還る素材で仕立てられたもの。「なるべくモノを買わず、使えるものを使う。棟梁の呼びかけで、九州各地から職人さんが集い、この店が完成しました」。古材を使用し、壁は裏の竹やぶの竹と、無農薬米の藁を発酵させた土を使った竹小舞土壁。自然のものを使ったところにも、博美さんの揺るぎない信念を感じる。
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さあ、席について一品目を…と思っていると、博美さんもカウンター内に腰をかけ、お茶を淹れ始める。BGMもない、静かな時間。耳に届くのは、お茶を淹れる所作がもたらす音のみ。
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「その場にいらっしゃるゲスト同士、そして私を含め、一体感を生み出したくて、コースのはじめにお茶を飲みます」。九州の生産者のお茶をセレクトし、一煎、二煎と博美さんも一緒にいただく。
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お茶をいただいていると、自然と日常から切り離されていくような、空間と一体になっているような感覚に…。これが博美さんの言う発酵なのかもしれない。
アミューズに始まり、4品ほどの前菜、魚料理、肉料理、デザートと続く9品ほどのプレミアムコースには、ナチュラルワインや自家製のノンアルコールドリンクがペアリングされる。和水町という立地もあり、ノンアルコールをセレクトするゲストも多いため、酵素シロップなどを用いたノンアルコールドリンクを提案しているのだ。
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カウンターに並んだゲストは、料理が仕上がっていく過程を楽しむことができ、目の前で調理をしながら、語ってくれる生産者の話は、実に興味深い。
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甘辛いトウガラシソース和え、烏龍茶の茶葉、ピーナッツ
米粉をまぶし、蒸した「たから農園」の四角豆と万願寺とうがらし、軽く炙ったヤリイカに、韓国トウガラシと醤油、自家製の梅シロップを加えた甘じょっぱいソース。さらに最初に煎れた烏龍茶の茶葉の苦味と、砕いたピーナッツの香ばしさを一緒にいただく一皿。
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ゆずの葉の香りを付けた出汁添え
皿の上には、一緒に蒸したカワハギとショウガに、炭火で焼いた原木シイタケ、オキアミと塩麹をつけた自家製オキアミ麹。さらに、調理の途中で店を出た博美さんが摘んできたゆずの葉とカワハギの骨の出汁が添えられている。
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「生のオキアミが手に入ったので塩麹につけてみました。鮮魚店さんのおかげで、こういった珍しい食材に出会えることもあるんですよ」。オキアミ麹は驚くほどの旨味があり、カワハギと共にいただくとさらに引き立て合う。
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出汁はそのままいただくことも、かけることも出来るので、この一皿だけでさまざまな味わいを楽しめる。皿の上に広がる世界の広さに驚くこと請け合いだ。
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「玉名牧場」の仔牛は骨まで大事に使い、玉名牧場を表現したひと皿に。フォンドボーと自家製味噌のソースに、玉名牧場のチーズ。発酵×発酵の味わいが、やわらかく・あっさりとした肉にベストマッチ。牧草に見立てたごぼうのフリットが、また程よいアクセントになっている。
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「直接足を運んだ先にある出会いが好き」。博美さんの料理は、予定調和でないから、面白い。集うお客さんによっても変わる「Peg」の空気。そして、博美さんの料理。どう発酵・熟成するか、一期一会の出会いを愉しみたい。
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